デザイナーになる前までの話(1983-2007)

北九州のお絵かき少女時代

お絵かき少女時代の写真

生まれは福岡県北九州市。普通の会社員と普通の専業主婦の間に生まれたわたしは、これといって特別な才能があったわけではないと思います。ありきたりではありますが、小さい頃からお絵かきや工作は好きでした。

小学校では、図工の授業で細かすぎる工作をして先生を驚かせたことも・・。3、4年生の頃からはクラスの絵がうまい女子と競い合うように漫画を描いていました。そういえば、初めてMacを触ったのは小学2年生くらいの時だと思います。ガジェット付きの父が持っていた(時代的におそらく)Macintosh Classicで勝手にゲームやお絵かきをしていました。

東京で過ごした思春期時代

小学五年生の頃に父の転勤で北九州を離れ、東京に住むことに。東京の小学校で、みんながみんな道徳のテレビみたいな標準語を喋っていることに驚愕し「あぁ、自分が今まで普通だと思ってたことは、普通じゃなかったんだ」と悟ったのはこの頃。「逆にいえば東京の普通は地方の普通じゃないんだぜ」とも、子どもながらに思っていました。

中学時代のことは書き出すとブラックになるので割愛(笑)。

高校時代の写真
↑5番がわたし

そして、何かから解放されたかのように部活と文化祭に明け暮れていた高校時代。将来の夢は具体的にはなかったけど、絵を描くか、ものを作る仕事に就くんだろうなとこの頃には決まっていた気がします(前向きに望んでいたというより、それしかないと思っていた)。高2の冬、部活休みたかったのと今しかないと思って「美大の予備校に行きたい」と親に頼み込んで冬季講習に行かせてもらいました。そこで描いた作品はなぜか高評価だったのですが、どう見ても周囲の人の方がうまい・・自分の作品を、納得の行かない理由で評価されたりされなかったりするのって苦痛だなと、お絵かきだけを仕事にするのはわたしには無理だと思ってしまいました。

そんなこんなで、実は理系だったわたしが半ば消去法的に選んだのが「工業デザイン」という道。勉強でお絵かきができそうだし、ものづくりだし、絵だけが勝負じゃない・・コレだ!と。美大や芸大ではなく、あえて普通の総合大学「千葉大学工学部デザイン工学科」へ進学しました。

大学・大学院時代

大学時代の授業・課題で叩き込まれたのは、共感を得られるコンセプトを立て、ターゲットユーザーを想定して、その人のためにデザイン(イロカタチ)を考えること。お世話になった教官がコンセプトの段階でよく言っていたのは「それ、欲しい?」「リアリティがない」「“なんでもできる”は“なんにもできない”と一緒だからな」ということ・・今でもとても刺さります。当たり前だけど周りには「絵が抜群に上手くて、アイデアを出すのも伝え方も上手い人」がゴロゴロいて萎縮したのもあって、学部時代は就活で自分を売り込むことができず・・大学院進学を決めました。

大学時代の写真
大学院時代の写真1

大学院時代、前のめり気味に「リーダーやる」と言って取り組んだメーカーとの産学共同プロジェクト。当時は携帯電話(ガラケーですよ)の多機能化がどんどん進み、各社がデザインや特殊な機能でどうにか差別化しようと躍起になっていた時代で、「学生らしい視点で新しいコンセプトを提案してほしい」という要求をいただいていました。そこで実践したユーザー調査は、ヘビーユーザーの使い方を密着取材して深く知るという手法(実際に密着取材したわけではなくて、同等の結果が得られる方法を考えましたよ)だったのですが、ほんっっとうに多くの発見がありました。自分が思ってもみなかったような使い方をしているたくさんのユーザーを目の当たりにして、「自分の普通は普通じゃない」という少女時代に悟った真理を再び強く実感したときに、何ともいえない衝撃が走ったのを覚えています。

その体験があってから、デザインのプロセスにおいて「ターゲットユーザーと、そのユーザーがいる世界(社会や業界)を深く理解すること」に重きを置くようになりました。この考え方は、今もわたしのデザインのベースになっていると思います。(調査に時間をかけていると「知りすぎると新しい発想ができないんじゃないか」と言ってくる人もいましたが、わたしは「知らないで新しい発想出てくる?」と思います。)

大学院時代の写真2